ばーちゃん

またまた前回の続きです。

 

高知に戻った日は葬儀場で父と母と大阪から夜中に車を飛ばして帰ってきた妹と一緒に4人で布団を並べて眠りました。懐かしい家族4人だけ。何十年ぶりやろ。

朝は5時頃目覚めてこっそり1人で外の喫煙所にタバコを吸いに行ってこっそり帰ったら妹が起きたので

「すごいろ。俺が誰より早く一番に起きる日が来た。」って言ったら

「そんな訳ないやん。私ももう起きちょったし、じーちゃんはもう2時間くらい前から起きちゅうき。」

あー、そうながや。

 

 

それからお通夜を終えて、ごく近い家族と親戚で晩ごはんを食べました。ビールを飲みました。

息子たちや姪っ子甥っ子がいてばーちゃんが眠ってる部屋で賑やかに夜が更けていってた時。

父が「お、こんなのがあるぞ。」って一枚の紙を出してきました。

それは母が週に2回通ってたデイサービスの連絡先が書かれた紙でした。名刺のでっかいやつ。ちょっと固めの紙質のやつ。

母がなくなったのでデイサービスの施設にも連絡せんといかんと思った父がお通夜会場に持ってきていた紙。

その裏にこれ。

ばーちゃんの字です。

手に力が入らなくなって字を書くのも億劫がっていた母の字です。

12/8  四国大学 入学祈願 りんちゃん」

 

そういえばいろいろ忘れてしまう母に言ったなぁ。

「明日凜が入学試験やって。合格するように祈りよっちゃって。」

「そうかね。忘れんように書いちょかんと。」

そのメモがお通夜の夜に何の気なしに登場しました。父は本当に裏のメモには気づかず携えてきたようで。

 

そのメモを前に凜は号泣。

12/8ってほんとに試験の前日やん。」

「病院でもみんな泣きゆうき俺は泣かれんと思って泣かんとここまできたのに。」

「ばばちゃん、ずるいわ。」

そりゃ19の男子も泣きます。

 

やば、書きながら泣きそうや。

 

 

ばーちゃんの孫を思う気持ちがそこにありました。

それをお通夜の夜にじーちゃんが孫に見せました。

ひとしきり食べて飲んで話して笑ってのあとに。

 

見事です。

このばーちゃんの気持ちを忘れんように大学生活を送らんとね。

 

 

お母さん、ゆっくりしてますか。

お母さんが倒れた姿も見てなくて、病院に駆けつけることもしてなくて、あなたがいなくなったっていう実感が全然ないよ。

毎日仕事しに実家に行っても普通におるみたいな感覚。

遺影はちょっと若い頃の元気な笑顔の写真にしたので、なんか「お母さん元気になったやん。良かったね。」みたいな気持ちで毎日会ってます。

 

 

「お兄ちゃん(母は僕のことをこう呼びます)はこの仕事に就いて良かったと思う?この仕事楽しい?」

元気な頃も記憶があやふやになって元気をなくしてからもよく母から聞かれた質問です。

息子が鍛冶屋の仕事に入る。

真面目にコツコツやり続けてきた父の仕事に、真面目にコツコツとはほど遠い人生を歩んできた息子が入る。

さぞかし心配だったことでしょう。

聞かれる度に

「めちゃくちゃ良かったよ!」

「こんないい仕事ないで。自分が思うようにやれて、やりがいがあって、お客さんに喜んでもらえて。」

「家業ってものがあって本当に良かったと思う。お父さんのおかげやね。」

 

毎回そう答えてたけれど、これから先もずっとそう答えられるように頑張らんとね。

 

 

ペコちゃんに認めてもらえるようにこれからもしっかり生きたいと思います。

 

 

 

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