『宣言』って大袈裟なタイトルで「後継者を作ります」ってブログを書いた3日後に弟子に「笹岡鋏製作所を辞めます。」って言われてから3週間、なんとも言えない日々を過ごしていたはさみ屋です。
高知県の「伝統工芸後継者育成事業」という補助金を使って受け入れた鍛治屋志望者は二人。
二人とも鍛治屋として育てることが出来ませんでした。土佐打刃物の後継者育成に失敗した笹岡鋏製作所。二回とも。
(この先10年経ったら二人とも鍛治屋さんやってたりしてくれる可能性はあるけれど。)
東京から来た当時21歳の若者。
福岡から来た当時45歳の女性。
年齢も性別も全く違う二人。
高知まで移住してまで鍛治屋になりたいのだからどちらももちろんやる気まんまんでした。
そのやる気が2年で別の仕事を選んだり、3年半ではさみ屋を離れたくなったり。
笹岡鋏製作所に何か問題があるがやろうね。
出来ることはやったし、そう思うちゅうなら言ってくれれば良かったのに、とか思ったりもしたけれど、この問題を解き明かさないと「後継者を作ります」なんて言えません。
なかなか教えてもらえないのだけれど。
10年20年かけて成し遂げたい目標を掲げたのに早くも前途多難です。
人を育てるのが滅茶苦茶下手くそな訳で。
告白されたはずが気づけばフラれてしまってる訳で。
挑戦をやめなければ失敗なんてないことはわかってるので、チャレンジは続けていきたいのだけれど、この結果は78歳にはちょっと負担が大き過ぎる訳で。
最初に研修生が一緒に働き始めたのが2015年10月1日でした。
ちょうどまるまる5年経って久しぶりに親父さんと2人きりで仕事をしています。
(5年前のお茶の時間はお母さんと3人やったなぁ。)
次があるのかほんとにわからなくなったけれど仕事は続いていくので今日も明日も鋏を作ります。包丁を研ぎ直します。
って書いてるうちに「あー、これが原因かも」って思うことが浮かんできたのでまた次回それについて書きますねー。