お母さんがなくなっちゃった。
突然に。3月15日。75歳。
会社勤めしていた頃のニックネームはペコちゃん。18歳で入社して退職して60歳になっても70歳になっても「ペコちゃん」。つまりは笑うひと。
19歳まで一緒に暮らして、鍛冶屋になった25歳からは毎日仕事場で会っていたペコちゃんが突然いなくなっちゃいました。
前回告知した東京出張に出かけた日でした。
もうすぐ1ヶ月になるね。早いなぁ。
母は寝込んでいたわけでもなく体調を崩していたわけでもなく、その日もいつも通り金曜日のデイサービスに行って晩ごはんも父と食べて2人でテレビを見て、父が「お風呂入りや」って声をかけてお風呂に入るまでいつも通りの母だったそうです。
前日だって仕事終わって普通に「明日から仕事で東京行って来る。お土産買って来るきね。」って言って普通に「おやすみ!」って帰ったのに。
想像してないもんね。
そんなことならもっといっぱい話して帰ったのに。
ただ、ここ数年母はパーキンソン病と認知症で日々のことを忘れていってしまう自分を嘆いていて、僕らにとってはそこにいてくれるだけで良かったのだけれど、少しづつ出来ないことが増えていくのをしんどく思ってました。
「ごめん、ごめん。」って謝ってばっかり。
だから、やっぱりちょっと疲れてしまって、寝込んで心配をかけることもなく、シュシュっといってしまったのだと思います。
数年前までお友達とおしゃべりするためにはいつでもどこまででもフットワーク軽く出かけてお茶するのが大好きだった母が、周りの友達から「ペコちゃんペコちゃん」って可愛がってもらった笑顔がトレードマークの母が、友達に会うのも億劫がるようになって家の用事もだんだん出来なくなっていって「お父さんに手間と心配かけるのにちょっと疲れた。いっちょくね。」って感じだったのだと勝手に解釈しました。
2人で出かけるのも2人で過ごすことも大好きな仲良しの父と母なので、父が受け入れるのは簡単じゃないとは思うけど、お通夜お葬式を通じて母と仲良くしてくださったみなさまのお顔やお言葉をいただいてやっぱりこれは「お父さんゆっくりしてね。」という母の優しさなんだと受け止めてしっかり見送りました。
友達いっぱい来てくれちょったよ。
認知症でだんだん出来ないことが増えてって、そのおかげで(母の世話をするために)いつのまにか父はごはんも作れるようになったし、お風呂を沸かす予約設定も出来るし、ゴミの日も把握しちゅうし、お金の管理も全部自分でやるようになってます。
ほんのこの前まで家のことは母に任せっきりで仕事しかしてなかった父なのに。
そういう風に仕向けていったんだなぁと。父が全部出来るようになったのを、「ひとりでも困ることないね。さとるのお昼ごはんも作れるようになったもんね。」ってのを見届けていっちゃったんだなぁと。
見事だと思います。
お葬式の最後、お棺の中の母に父が声をかけました。
「ちょっと待ちよれよ。」
ずっと2人でいて、最後はずっと面倒見てきて、突然いなくなったら父はさびしいだろうなぁ、そればっかり考えていたけれど、この言葉にはなんか希望がありました。
永遠の別れじゃない感じ。
またいつか会える感じ。
「ちょっと待ちよれよ。」
いい言葉でした。
それにしても、わざわざ息子が東京出張の日にせんでも。毎日毎日実家に仕事しに行って顔を合わせてお昼ごはんを一緒に食べゆう息子が遠く遠くにおる日を、いくらすぐ帰りたくても翌朝飛行機飛ぶまで帰れん日を選んでいっちゃった。
まぁ、それにもペコちゃんにはきちんと理由があるらしいので次はそれを書きます。