鍛冶屋日記

年: 2019年

刃物まつりの振り返り。

例年に比べて売上少なし。

なんでかなぁ。土曜は朝のうち雨が残って、そのためかお客さん少なめ。お客さん少ないき仕方ないか、という気持ち。言い訳。

日曜は天気も良くお客さんいっぱい。それでも売上は例年より少し少なめ。言い訳出来ず。

昨年は良く売れました。

昨年が売れ過ぎか。

 

点数は少なめでしたが、お値段高めの品は良く売れました。ドットもストライプも出たし、1万円の鋏が2つに2万円のナイフも売れました。

普通の6,000円〜8,000円くらいの万能包丁がほとんど売れなかったなぁ。去年の反省メモに「150mmの万能包丁足りてない。10丁づつくらいは持って行くこと!」って書いちょったきしっかり作り込んで行ったがやけど。

 

包丁、鋏、ナイフその他すべての売れた点数でいうと昨年は41丁。今年は19丁。半分や。なんでかなぁ。まだまだ努力と工夫が必要ってことか。頑張ります。

 

新しい取り組みは成功したと思います。

クレジット決済とPayPayの導入。

土曜一発目の売上はPayPayでSANUKI no MEGUMI(ドットの包丁)が売れました。

PayPayはこの一件だけでしたがスクエアのカード決済を選んでくれたのが6件。5万円以上。

カードが使えなければ売上になってないかは定かではないけれど、買ってくれたお客様に5%のポイント還元があるのでそれは良し。

※はさみ屋は5%還元の対象事業者になってます。もちろんネット通販も対象です。心置きなくカード使ってください。700円の研ぎ直しでもどんどん使ってください。

 

刃物まつりでこのポスターを見てくれた若いお客様が言ってくれました。

「見て回ったけどカード使えるのここだけですねー。出刃包丁ありますか?」

なかった。上記のように万能包丁の作り込みに必死で出刃包丁ひとつも出来上がらず。

「また作っちょきますので、良かったらお店に来てください!もちろんお店でもカード使えます!」

 

そしたら2日後、来てくれました。本日のことです。うれしいよね。

けれど、2日で出刃包丁が出来上がってるはずもなく、それでも万能包丁を買っていただけました。もちろんカード決済で。刃物まつりの売上が2日経って上乗せされた気分です。

また言います。

「ありがとうございました!また出刃包丁も作っときます!」

 

イベントで出会ったその場限りではなく、後日お店まで工場まで来てもらえる。久しぶりに思い出す目指す形でした。

 

来年に向けて売り方や見せ方の工夫は必要やけど、たくさんの刃物屋さんの中から選んでくれる未来のお客様に対して恥ずかしくない商品を作らんとね、って思いました。ずっと思ってますけど、あらためて。

今回買ってくれたお客様、ありがとうございました。ガンガン使ってもらって研ぎ直しでまた会えますように。

 

 

 

 

 

前回書いてからあっという間にひと月半。

親父さん日曜日に退院決定。予定通り。

「7時半に朝ごはんが出るき8時に迎えに来てくれや。」

早く帰りた過ぎやろ。行くけど。

 

ひと月半のエースの不在。乗り越えたかというと全然乗り越えてません。親父の領域に踏み込んだのはほんの数日。あとは今まで通り自分の領域しか出来てません。

ご注文いただいてるみなさま、お待たせしてます。本当にごめんなさい。

 

父が8月末に入院して、9月の7・8日が大阪海遊館への遠征出店。そこに持って行くための包丁仕上げ。しっかり作ったのにたいして売れず。

帰ってきてご注文の鋏の仕上げしてたら10月6日は岡山へ遠征しての出店。海遊館のためにしっかり作った包丁たちがいつのまにか売れてしまっていて、また岡山のために作る。また売れず。鋏ひとつとナイフがひとつ。包丁1個も売れず。

それから帰って来てからは来週10月19・20日の刃物まつりに向けての品作り。作ってる間にまた包丁いくつも売り切れていて。あと1週間またまた作り込みに入ります。

その間も絶えることなく襲いかかってくる研ぎ直しのご依頼たち。いや、ありがたいことなのです。

8月末に電話でご注文いただいたお客様に数日後あらためてお値段と納期を連絡すると

「ブログ見ました。大変な時に注文してしまってすみません。」て言われてしまいました。

いえいえ、ご注文も研ぎの依頼も本当にありがたいことです。ただ、今までより少し長くお待たせしてしまうので、こちらこそすみませんです。他にもたくさんお待たせしてます。もう少しお待ちください。

 

前にも書いたことある気がするけど、何年も前に商工会の職員さんに聞かれたことがあります。

「笹岡さんはフットワーク軽くいつでもどこへでも町内だろうが県外だろうが出店しに行くけど、この先もずっとそうしますか?それとも違う目指す形がありますか?」

この時はこう答えました。

「今はどこでも出て行って売れても売れなくてもPR出来たらいい。『ここに鍛冶屋がいますよ!研ぎ直しもしますよ!』って知ってもらう努力が必要や。でも、最終的には工場にこもって作りよったら向こうから買いに来てもらえるようになれたらいいかな。」

 

なっちゅうかも!

海遊館行っても岡山の朝市行ってもたいして売れんかった。

けど、工場で仕事しよったらパラパラ包丁買いに来てくれて次どっか行く時はまたサイズによっては売り切れ売り切れ。また売りに行くための品揃えに残業の日々。

包丁だけじゃなくて、ネットを通じて鋏のオーダーも次々もらえてます。もう何人のお客様をお待たせしちゅうことか。

 

うん、なっちゅうね。

こもって仕事すべきながやろね。

あの時はかっこえいこと言ったけど、行きたいき行きよっただけながやね。

いっぱいいっぱいやけどやっぱり出会いに行きたいもんね。

別の形の最終形を、最適解を見つけます。

 

とりあえずは来週末の刃物まつりに向けて、あれも作らんとこれも作らんと。

頑張ります!

 

10月19(土)20(日)

香美市鏡野公園にて

遊びに来てください!

 

 

さー、前回予告した通りピンチがやって来ました。

英二さん(親父さん)が入院しました。

昨日手術。無事成功。

「右肩腱板損傷」

ピッチャーみたいでしょ。

半年くらい前から肩が痛くて金槌を振るのがきつそうな時がちょいちょい。鍛冶屋歴60年超。そりゃ勤続疲労も襲いかかるよね。

痛いなら「これ叩いちょけ」って置いとけばいいのにそれが出来ない、言えない。

働くために生まれて来たような人なので、痛いながらも我慢してやってました。やってくれてました。病院に通いながら注射したり電気当てたりしていたけれど良くならず。手術を提案されあっさり選択。相談なんてありません。

「来月手術するき。」以上。

 

入院予定はひと月半。

もう一度痛みのない肩で金槌振りたいがよね。今シーズンを棒に振っても来シーズンの復活を目指すがよね。77歳。もう本当にアスリート。

手術自体は難しいものではないのだけれど、繋いだ腱をゆっくりゆっくり伸ばしていくためのリハビリが大変ながやって。痛いがやろうなぁ。でも、ぼーっとひと月半ベッドで寝よりなさいって言われたらたぶんシュルシュルしぼんでしまう人なので、頑張る必要がある方がいい。きっとやり遂げることでしょう。ベルトハンマーに右肩を付けて(桑田さんのイメージね)マウンドに戻ってくる日は必ず来ます。

 

問題はこっちです。工場です。

エースを欠いたはさみ屋は成り立っていくのか。

まぁ、こうやって、いや、こうでもせんと、世代交代なんて成し遂げられんよね。エースが全然衰えんしサボらんし。

 

このひと月半、退院してもすぐにマウンドには立てないと思うのでその先数ヶ月で、どこまで伸びていけるか。そもそも乗り越えられるのか。

 

ひと月半先はちょうど刃物まつり。

うん、たいへんそう。

 

やります。

 

 

お仕事上でなかなかのピンチの瞬間が近づいてきております。来週から。ピンチの内容はまた次回。

 

8月13日に研ぎ直し講習会の先生をやって来ました。

JAさんの年間通した学びの場「あぐりライフスクール」って活動の一コマを担当です。ずいぶん包丁研いできたけど講習会として教えたことなんてなかったわけで。まぁ、誰でも何でも初めての時はあるわけで。

 

JA職員の同級生から依頼があって

「包丁研ぎの講習会やらん?報酬出るけど。」

「いくら?」

「2万円」

「やる。」

 

で、決定。2時間講習会して2万円。時給1万か。いい仕事や。

が、そう上手くはいきません。

例によってギリギリまで準備してなくて前日にしゃべる内容を考えてPCに打ち込んで印刷。生徒さんに体験してもらうために研ぎ桶と砥石3種類を2セット新たに構える。

準備に1日かかったので時給1万のはずが日当1万に減額。砥石代の投資もあるのでもっと目減りしました。そんなもんやね。

 

当日は約20名の生徒さん(全て年上女性)に20分くらい包丁の良し悪しや研ぐ時の注意点なんかをしゃべってから、あとは実際に体験してもらいました。

各自お使いの包丁を持って来てもらって研いでもらう。「もうちょいこうですね」って言いながら最後は僕が仕上げたり。頑張って黙々とやってみてくれる人、「先生にお願いしよ。」って雰囲気ありありな人。いろいろでしたが全体的にはみなさん熱心に取り組んでくれました。

 

講習会終わって片付けしてたらある生徒さんから言われました。

「包丁買う時、包丁研ぐ時は必ず先生のとこに行きます。他には絶対行きません。」

本当にうれしい言葉でした。社交辞令でもうれしい言葉。

目指していたのはまさにこれ。

講習を受けてくれた20人のうち何人なのかはわかりませんが、この先1人でもはさみ屋に来てくれたらうれしいなぁ。時給とか日当じゃないところの効果。未来のための種蒔き。あ、このフレーズ久しぶり。

隣の隣の佐川町での講習会だったので

「いの町のこの場所に刃物屋さんがある。鍛冶屋さんがおる。」ってことは20人みんなに伝わったと思います。楽しみに待ちます。またこんな機会があればやりたいです。ご依頼ください。

 

 

さぁ、次のイベントは大阪遠征です。

9月7日(土)8日(日)

大阪海遊館にてイベント出店。

昨年は大雨で流れて行けなかったので2年ぶり2度目の出場。

2年前は大変良く売れたので楽しみな遠征。

最近鋏ばっかり作ってたら包丁が全然品薄状態になってるのであと2週間、頑張って作ります。

 

大阪近辺のみなさま、海遊館で待ってます!

 

 

「理屈に合わないことをどれだけやれるかが青春だとでもどこかで僕ら思っていたのかなぁ」RADWIMPS『正解』より

だとしたらまだ今でもしばしば青春。

 

4月の終わりに文章の寄稿依頼がありました。母校の先生から。全然別のとこで出会った僕よりずっと年下の先生から。

「学校の校報誌にOBとして文章書いてもらえませんか?」

こういうお誘いは断らない。断らない脳みそになっているので悩むことなく「いいですよー。」のお返事。これ即決出来る自分好き。

お返事してから文章のボリュームと締め切りを聞く。

「テーマは自由、1600字程度、締め切りは1ヶ月後、読むのは在校生とその保護者、それからオープンスクールで入学希望者にも配ります。」

原稿用紙で4枚か。多いね。

それでも大切なのは安請け合いです。

「◯月◯日締め切り、1600字、テーマは自由」これならほとんどの人が出来ること。1600字文章を書くなんて誰でも出来る。夏休みの読書感想文だってあらすじで分量かせいで提出したもんね。ただ、そこで結果を、読んだ人がどう思うか、かっこよくまとまるか、無様な文章しか書けんかったら恥ずかしい、とか考えるから断りたくなるのです。そこさえ考えなければ出来ないことはない。間違いなく誰でも出来ること。だから受ける。そこで自分のベストを尽くします。そしてステキなことにその結果、自分の成長に繋がります。たぶん。「やってくれませんか?」って言われなければ自発的にやるはずもないことをやるのだから成長しないはずがない。そうやって無理矢理こじつけて「自分すごい」を植え付けて来ました。いろんな場面で。

 

まずは文字数をカウントしてくれるメモアプリをダウンロードして、今の中高生(母校は中高一貫校です)に向かって伝えたいことを考えました。

中高生に伝えたいことなんて本当にRADWIMPSが歌ってるように

「大切な友達との仲直りの仕方とか大好きなあの子の振り向かせ方とかばっかり考えよっていいよ。」だと思いました。

それさえしっかりやっちょったら社会に出ても困らんし仕事しよってもそのスキルは活きる。と思う。そこサボったらあとあときつい。

歌詞をパクるわけにはいかないのでまた違う角度から鍛冶屋の仕事、町での活動、中高時代の思い出をからめて考える。書いてみる。

あ、このテーマやったら1600字じゃ半分も収まらん。「多い」と思った1600字なんてあっという間に到達します。なんとかまとまりそうなテーマを選んで書いてみたけど余裕で2000字超え。削っても削っても2130字。

もう削れるとこなくて、ご依頼いただいた先生に連絡。

「1600って言われたけど2000超えても大丈夫ですか?」

数日後に「2000字超えても大丈夫だそうです。」のお返事。

仕上がりました。締め切り10日前に原稿送って1人達成感に浸りました。

この度無事発行されたようで、完成した校報誌を送っていただきました。写真が金髪時代。

新聞にも出た。テレビもラジオも出た。ついに文章の寄稿依頼まで辿り着きました。なかなか頑張ってるんじゃないかと思います。

 

次のチャレンジは「包丁の研ぎ方講習会」

8月13日に20人を相手に先生をやって来ます。幸せなことに講師料もらえます。2時間で2万円。大きい。

もちろん時給1万円のその先も目指します。その中の1人でも2人でもはさみ屋のお客さんになってもらえるように。準備します!

 

 

今年も行って来ました。有田の陶器市。陶山神社。

2014年から6年連続出場。「やめない」「続ける」にかけては結構自信があります。それなのに新しいことに手を出すので訳がわからんなるがやけど。

今回も佐賀の有田でうれしい出会いや再会がありました。

 

ケース1

先月花鋏のオーダーメイドをお送りしたお客様。1月にご注文いただいてしばらくお待たせしている間の3月に「佐賀の武雄に引っ越します。そちらに送ってください。」って連絡が。武雄市は有田町のお隣です。

「5月に有田に行きます。ご都合よろしければ是非。」ってメールをして、ギリギリ4月の終わりに出来上がった花鋏をお送りしてたらわざわざ会いに来てくれました。うれしい。

 

ケース2

次は2年前に高知観光に来られて日曜市ではさみ屋のドットの包丁をお買い上げいただいたお客様。(日曜市に出ている刃物屋さんの中で一件だけうちのドットとストライプを取り扱ってくれてます。)翌年にもよさこいを見に来られてその時に道の駅「くらうど」さんでドットの包丁を見つけ「あ、同じ。この町で作られたものか。」って気づいていただいて、来る気はなかったのに迷い込んだ道でたまたまはさみ屋を見つけ立ち寄ってくれました。さらにドットの小さいタイプの包丁をお買い求めいただく。またその時に在庫がない。「出来たらお送りします。ご住所は?」「久留米です。」「あ、毎年ゴールデンウィークには有田にいってます。研ぎもやってますので、持って来てくれたらメンテナンスしますよ。」ってお伝えしてたら今回来てくれました。しかも直前に「何日に来ますか?」ってお電話までいただいて。ここにも待ってくれゆうお客様がおった。うれしい。

 

ケース3

初めて有田に行ったのが2014年の5月。その時のこのお客様。リンク先をご覧ください。ちょっと暑苦しいほど長い長い文章なので覚悟してご覧ください。

「間違ってないよ」

https://www.hasamiya.jp/blog/6539

有田に行って初めてのそしてなかなかの思い出深いお客様。

「包丁研いでくれますか?」

「はい!お預かりします!お名前は?」

「〇〇です。」

「あ!〇〇さん!」

って感じで再会です。5年ぶりにドットの包丁を研ぎ直しに持って来てくれました。うれしいよね。

あれ以来コンタクトないけれど使えゆうかなぁ。デザイン包丁としては本当に初期のものだったのでちょっと気になってました。その方との再会。包丁もしっかり現役のようで。うれしかったです。

 

九州遠征。やめる訳にはいかんよね。だいたい素敵エピソード作ってくれます。有田の陶山神社。また来年。

 

さぁ、明日明後日はほどのグリーンパークにて『en』に出店です。

また出会って来ます!

 

 

 

 

 

さぁ、いろいろあった3月から日常へ!って思っていたらもうすでにゴールデンウィーク。

 

高校の同級生集めて運動会したり、年度末の異動で町を離れたあの子の送別会をしたり。

20人集まって宴会していた送別会がいつのまにか5人だけの麻雀大会になっていたり。朝4時半まで。異動のあの子は最後まで観戦して行ってくれました。今日の仕事は眠かった。

いつものごとくハードスケジュールで大型連休を過ごしています。今日まで仕事したけど。

 

大型連休らしく県外からのお客様があったのでご紹介。

大分県からのお客様は道の駅『くらうど』さんでうちの商品を見てくれて興味を持ってくれて三世代でわざわざはさみ屋までご来店。

「何に使おう。」って言いながら小さなナイフを買ってくれました。

 

もう一組、なんと福島県から植木屋さんご来店。お車で。遠いよね。

昨年ホームページで鋏を買ってくれてた植木屋さん。

奥さまのご実家が香川県でそこからわざわざはさみ屋まで足を伸ばしてくれたようです。奥さまを説き伏せて。

また別の形の植木鋏と「奥さまに」ってTOSA no DAICHI(ストライプの包丁)をお買い上げいただきました。

また高知への誘客にちょっと貢献。

 

このまま連休も工場にこもって働いてたら県外からのお客様がどんどん来て売り上げも爆発するんじゃないかと思いますが、予定を入れずにはいられないはさみ屋は今年も佐賀県へ伺います。

 

もう毎年恒例になった佐賀県有田の陶器市。

5月3日(金)4日(土)の2日間

たぶん朝10時〜午後4時くらいまで

陶山神社の境内にて。販売と包丁研ぎ。sukimaに並ぶ高知の産品もしっかり持って行きます。

 

ちょっと調べたら2014年から連続出場なのでもう6回目。

フェリーの予約もフェリーの中での振る舞いもだいぶ慣れました。

 

という訳ですので、九州佐賀県近辺のみなさま、周辺は大変渋滞致しますが、ご都合よろしければ有田の陶山神社まで、切れ味の鈍ったお家の包丁など携えて遊びに来てください。

お待ちしております。

 

 

またまた前回の続きです。

 

高知に戻った日は葬儀場で父と母と大阪から夜中に車を飛ばして帰ってきた妹と一緒に4人で布団を並べて眠りました。懐かしい家族4人だけ。何十年ぶりやろ。

朝は5時頃目覚めてこっそり1人で外の喫煙所にタバコを吸いに行ってこっそり帰ったら妹が起きたので

「すごいろ。俺が誰より早く一番に起きる日が来た。」って言ったら

「そんな訳ないやん。私ももう起きちょったし、じーちゃんはもう2時間くらい前から起きちゅうき。」

あー、そうながや。

 

 

それからお通夜を終えて、ごく近い家族と親戚で晩ごはんを食べました。ビールを飲みました。

息子たちや姪っ子甥っ子がいてばーちゃんが眠ってる部屋で賑やかに夜が更けていってた時。

父が「お、こんなのがあるぞ。」って一枚の紙を出してきました。

それは母が週に2回通ってたデイサービスの連絡先が書かれた紙でした。名刺のでっかいやつ。ちょっと固めの紙質のやつ。

母がなくなったのでデイサービスの施設にも連絡せんといかんと思った父がお通夜会場に持ってきていた紙。

その裏にこれ。

ばーちゃんの字です。

手に力が入らなくなって字を書くのも億劫がっていた母の字です。

12/8  四国大学 入学祈願 りんちゃん」

 

そういえばいろいろ忘れてしまう母に言ったなぁ。

「明日凜が入学試験やって。合格するように祈りよっちゃって。」

「そうかね。忘れんように書いちょかんと。」

そのメモがお通夜の夜に何の気なしに登場しました。父は本当に裏のメモには気づかず携えてきたようで。

 

そのメモを前に凜は号泣。

12/8ってほんとに試験の前日やん。」

「病院でもみんな泣きゆうき俺は泣かれんと思って泣かんとここまできたのに。」

「ばばちゃん、ずるいわ。」

そりゃ19の男子も泣きます。

 

やば、書きながら泣きそうや。

 

 

ばーちゃんの孫を思う気持ちがそこにありました。

それをお通夜の夜にじーちゃんが孫に見せました。

ひとしきり食べて飲んで話して笑ってのあとに。

 

見事です。

このばーちゃんの気持ちを忘れんように大学生活を送らんとね。

 

 

お母さん、ゆっくりしてますか。

お母さんが倒れた姿も見てなくて、病院に駆けつけることもしてなくて、あなたがいなくなったっていう実感が全然ないよ。

毎日仕事しに実家に行っても普通におるみたいな感覚。

遺影はちょっと若い頃の元気な笑顔の写真にしたので、なんか「お母さん元気になったやん。良かったね。」みたいな気持ちで毎日会ってます。

 

 

「お兄ちゃん(母は僕のことをこう呼びます)はこの仕事に就いて良かったと思う?この仕事楽しい?」

元気な頃も記憶があやふやになって元気をなくしてからもよく母から聞かれた質問です。

息子が鍛冶屋の仕事に入る。

真面目にコツコツやり続けてきた父の仕事に、真面目にコツコツとはほど遠い人生を歩んできた息子が入る。

さぞかし心配だったことでしょう。

聞かれる度に

「めちゃくちゃ良かったよ!」

「こんないい仕事ないで。自分が思うようにやれて、やりがいがあって、お客さんに喜んでもらえて。」

「家業ってものがあって本当に良かったと思う。お父さんのおかげやね。」

 

毎回そう答えてたけれど、これから先もずっとそう答えられるように頑張らんとね。

 

 

ペコちゃんに認めてもらえるようにこれからもしっかり生きたいと思います。

 

 

 

前回の続きです。

母がなぜ僕が東京にいる日を選んでいっちゃったのか。

僕は6年前に離婚をしています。別居の期間を入れると10年になります。だから元奥さんがいます。そこに21歳と19歳の息子がいます。

離れてしまった父としてはなかなか仲良くやってる方だと思います。元奥さんのおかげ。

 

それから今一緒にいる彼女がいます。彼女には中学2年生の娘がいます。3人で一緒に暮らしてます。

 

父と母には紹介しました。2年と少し前に。

息子たちに会わせてはいませんでした。彼女と娘と暮らしてることは昨年秋に初めて話したけど。

 

こういう状況があって、315日を迎えます。

 

朝一飛行機で東京に行って1日自由が丘で仕事して帰りにコーヒーショップでビールを飲んで晩飯にお持ち帰りの肉飯を買ってホテルでまた缶ビール飲みながら肉飯食べてテレビ見てたら親父から電話。2240分頃。

「今すぐ帰って来てくれ!おかあが!」

親父はパニック。何言ってるかわからんくらい。

お母さんになにかあったこと、救急車で病院に向かっていることはなんとかわかったので電話を切ってから彼女に連絡。

「何があったかよくわからんけど〇〇病院に向かいゆうみたいやき行っちゃって!」だけ伝えて。

「わかった。」って返事もらって。

それから大阪の妹に電話したり他の親戚に連絡取ったり。東京のホテルで。

それから1時間も経たないうちに彼女から「お母さん今なくなった。」って連絡もらって。

 

次男凜にも「病院行っちゃって。」って連絡をして長男涼太は神奈川にいるので「ばーちゃんなくなった。おまえ明日朝一で一緒に帰れる?」って連絡して2人分の飛行機チケット取って。東京のホテルで一人で。

 

その間、僕の彼女は落ち込み嘆く父のそばにいてくれて、警察の現場検証にも立ち会ってくれて。一晩中あちこち駆け回ってくれてあれこれ全部やってくれて。

 

翌朝高知に戻って眠ってる母と対面した時には、僕の彼女は親戚一同に紹介済み。

「ほんと、彼女はよくやってくれたよ。」って親戚のおばちゃんに言われる。

凜ともご対面済み。

なんなら元奥さんともご対面済み。

自分で紹介したのは一緒に帰った涼太だけ。

 

 

お母さんが「あんたもういいかげんにちゃんとしなさいよー。」ってみんなに彼女を紹介していってくれました。

 

僕が近くにいなかったからこうなった。

その時両親に一番近くで頼れる人は彼女でした。

だからペコちゃんはわざわざ僕がおらん日を選んでいったがよね。

(親父にとってはそんな時に息子がいないってのははだいぶ酷な仕打ちやけど、「お父さんは大丈夫!」みたいなとこがお母さんにはある。)

 

息子たちにどう紹介しよう、どんなタイミングで会わせたらいいがやろ。そんなことぼんやり考えてなんとなく逃げてたところです。

バシッとやられました。

 

見事でしょ。ペコちゃん。

つじつま合わせにしたって敵わない。

 

 

ペコちゃんのすごいとこもうひとつあるのでもう一話だけ母について書きます。

 

 

 

お母さんがなくなっちゃった。

突然に。315日。75歳。

会社勤めしていた頃のニックネームはペコちゃん。18歳で入社して退職して60歳になっても70歳になっても「ペコちゃん」。つまりは笑うひと。

19歳まで一緒に暮らして、鍛冶屋になった25歳からは毎日仕事場で会っていたペコちゃんが突然いなくなっちゃいました。

前回告知した東京出張に出かけた日でした。

もうすぐ1ヶ月になるね。早いなぁ。

母は寝込んでいたわけでもなく体調を崩していたわけでもなく、その日もいつも通り金曜日のデイサービスに行って晩ごはんも父と食べて2人でテレビを見て、父が「お風呂入りや」って声をかけてお風呂に入るまでいつも通りの母だったそうです。

前日だって仕事終わって普通に「明日から仕事で東京行って来る。お土産買って来るきね。」って言って普通に「おやすみ!」って帰ったのに。

想像してないもんね。

そんなことならもっといっぱい話して帰ったのに。

 

ただ、ここ数年母はパーキンソン病と認知症で日々のことを忘れていってしまう自分を嘆いていて、僕らにとってはそこにいてくれるだけで良かったのだけれど、少しづつ出来ないことが増えていくのをしんどく思ってました。

「ごめん、ごめん。」って謝ってばっかり。

だから、やっぱりちょっと疲れてしまって、寝込んで心配をかけることもなく、シュシュっといってしまったのだと思います。

数年前までお友達とおしゃべりするためにはいつでもどこまででもフットワーク軽く出かけてお茶するのが大好きだった母が、周りの友達から「ペコちゃんペコちゃん」って可愛がってもらった笑顔がトレードマークの母が、友達に会うのも億劫がるようになって家の用事もだんだん出来なくなっていって「お父さんに手間と心配かけるのにちょっと疲れた。いっちょくね。」って感じだったのだと勝手に解釈しました。

2人で出かけるのも2人で過ごすことも大好きな仲良しの父と母なので、父が受け入れるのは簡単じゃないとは思うけど、お通夜お葬式を通じて母と仲良くしてくださったみなさまのお顔やお言葉をいただいてやっぱりこれは「お父さんゆっくりしてね。」という母の優しさなんだと受け止めてしっかり見送りました。

友達いっぱい来てくれちょったよ。

認知症でだんだん出来ないことが増えてって、そのおかげで(母の世話をするために)いつのまにか父はごはんも作れるようになったし、お風呂を沸かす予約設定も出来るし、ゴミの日も把握しちゅうし、お金の管理も全部自分でやるようになってます。

ほんのこの前まで家のことは母に任せっきりで仕事しかしてなかった父なのに。

そういう風に仕向けていったんだなぁと。父が全部出来るようになったのを、「ひとりでも困ることないね。さとるのお昼ごはんも作れるようになったもんね。」ってのを見届けていっちゃったんだなぁと。

 

見事だと思います。

 

お葬式の最後、お棺の中の母に父が声をかけました。

「ちょっと待ちよれよ。」

ずっと2人でいて、最後はずっと面倒見てきて、突然いなくなったら父はさびしいだろうなぁ、そればっかり考えていたけれど、この言葉にはなんか希望がありました。

永遠の別れじゃない感じ。

またいつか会える感じ。

「ちょっと待ちよれよ。」

いい言葉でした。

 

 

それにしても、わざわざ息子が東京出張の日にせんでも。毎日毎日実家に仕事しに行って顔を合わせてお昼ごはんを一緒に食べゆう息子が遠く遠くにおる日を、いくらすぐ帰りたくても翌朝飛行機飛ぶまで帰れん日を選んでいっちゃった。

まぁ、それにもペコちゃんにはきちんと理由があるらしいので次はそれを書きます。

 

 

 

 

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