鍛冶屋日記

日: 2015年12月13日

仕事頑張ってます。全然進まんけど。

この度、鍛冶屋志望の若者を研修生として受け入れました。前にちょこっとだけ書いたけどこの時東京からやって来た22歳。

うちに面接に来た時の写真です。

それから伝統工芸の後継者育成の補助金を申請したり土佐刃物の組合の理事会に計られたり役場の面接を通過したりして、無事10月から働いてもらってます。

2ヶ月と少し、真面目にやってくれてます。

「どう?あの子は鍛冶屋に向いちゅう?」っていろんな人に聞かれるけれど、適正なんてわかりません。

自分だってものづくりに興味があった訳じゃなし、自分を器用だと思ったこともない。それでも自分なりの方法で18年やって来ました。

どんな仕事でも大事なのは「やめない」じゃないかなぁ。
「続けること」「毎日工場に出てくること」
それが出来たら鍛冶屋にはなれる。
プロ野球選手じゃないがやき。センスや適正の必要な仕事じゃない。

その先、もっと良いものを作るためには、もっと効率良くスピードを上げるにはとか、もっと売れるようにするには、とかは考えるべきやしある程度センスも必要かもしれんけど。

まぁ、一人前になるかどうかは本人次第なのでどうにも出来ない。
その点、東京から何のつてもない友達の1人もいないいの町へ移住して1人でアパート暮らししてまで鍛冶屋になろうと飛び込んで来たのだからやる気はある。

受け入れるこちらとしてはそのやる気をしぼませないような努力や心配りをせんとね。こっちも2年間の研修期間の先は戦力として考えちゅうがやき。雇用を生もうと思って受け入れてます。

どっかで見たけれど
「あんなに熱意を持って◯◯やりたい!って来たのに辞める時はあっさりしたもんやった。最近の若者は…。」なんてつぶやきはしたくない。これ完全に受け入れる側の問題やと思ってしまいました。

そこまで熱い気持ちと夢を持って飛び込んで来た若者の気持ちを冷めさせたのは親方やったりその会社やったり業界やったりの責任が大きいはず。

もちろん下積みみたいな時間はあって思い描いたのと違うところもいっぱいあると思うけど。
未来への希望を消し去ってしまうのはきっと仕事そのものではなくて、受け入れる側の体質とか環境の整え方とか仕事のさせ方責任の与え方みたいなとこが大きいんじゃないかなぁ。
そこの資質を問われる。すごく感じます。

なんて、人を使ったことのない43歳がえらそうに言いました。

遠い昔、僕も言われた。
「向いてないと思ったらすぐ辞めろよ。」.
向き不向きを心配した親戚からの言葉やったがやけど、25歳まで自由に好き勝手生きてきてその挙句に親父の仕事に入るのに辞める訳ないじゃんか!って思いました。それだけのことで今に至る。

その中で自分なりのおもしろさを見つければいい。

数ヶ月後に「辞めて帰ってしまいました。」って書くかもしれませんが、その時は「今時の…」なんて言わずにしっかり自分を反省したいと思ってます。
そういう覚悟で受け入れてます。

東京から移住してきた鍛冶屋志望の22歳とそれを受け入れて一緒に働くことに決めたはさみ屋。

乞うご期待!です。

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